ごあいさつ
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水本 行彦 Yukihiko Mizumoto
社会福祉法人 大阪水上隣保館 理事長
ごあいさつ
2023年6月に当法人の理事長に就任いたしました。
当法人は、創設者の中村遙・八重子夫妻が、キリスト教の「隣人愛の精神」に基づき、戦前の厳しい社会情勢の下で「水上子供の家」での子供たちとの生活で活動をスタートさせ、その後の諸先輩方そして黒川前理事長が、職員の皆さんとの社会福祉への真摯な取り組みにより、現在の大阪水上隣保館に育ててこられました。
先達の築いてこられた法人の存在意義や活動の実績を今後とも維持・発展させ社会の要請に応えられるよう努めてまいりたいと考えております。皆様のご指導、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
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黒川 芳朝 Yoshitomo Kurokawa
社会福祉法人 大阪水上隣保館 理事(前理事長)
1930年代の大阪港には艀が群れをなし、ここが寝ぐらの「水上生活者」が大勢いました。生活環境は極めて劣悪で、とりわけ子どもたちは、日々家族と共に船で移動するため、学校にも行けない状況に置かれ、ときには船から転落して命を落とす子どももいたようです。
こうした悲惨な状況に心を痛めた中村遙・八重子夫妻は、1931(S.6)年3月、艀で暮らす子どもたちを預かる『水上子供の家』を開設しました。キリスト教の「隣人愛の精神」に基づいた「支援の手を求める人がいれば、ためらわず手を差し伸べる」実践への第一歩でした。これが大阪水上隣保館創設の原点です。
当時はキリスト教に対する社会の理解は十分でなく、様々な中傷を受け、施設の運営に随分と苦労されましたが、10数年を経て、施設運営がようやく軌道に乗り出した1945(S.20)年6月、第二次世界大戦の大空襲により施設が全焼するという大きな試練に直面しました。
しかしながら、中村夫妻はこの苦難に『祈り』によって立ち向かいます。縁を頼って大阪府島本町東大寺にあったに釜風呂(保養所)の建物を借り受け、子どもたちを集めて新しい施設を再建しました。
この頃になると、大阪水上隣保館で暮らす子どもたちの多くは、戦災孤児(戦争によって身寄りを失った子どもたち)になっていました。しかも大半の子どもは終戦後の食料難のため空腹を抱え、近くの民家の柿を取ったりして苦情が絶えず、5年後には大家さんから立ち退きを強く要求されました。しかし適当な移転先も見当たらず、中村夫妻は再び苦境に立たされたのです。
この時も中村夫妻の『祈り』は天に通じました。支援者の方から天王山の山麓の土地をを紹介されました。敷地は35,000㎡もある広大なものですが、ただ、竹藪や雑木が生い茂った急峻な荒れ山で、それを目の辺りにした夫妻は途方に暮れました。どうすれば施設が建てられるのか…と。
しかしながら中村遙先生の同郷の親友・田畑忍先生(同志社大学学長)が窮状を知り、ワークキャンプによる開拓を申し出てくださったのです。その呼びかけは同志社はもとより関西学院、桃山学院、神戸女学院などのキリスト教主義の大学や団体に広がり、多くの学生たち、教会関係者がボランティアとして参集してくださいました。
重機もなくツルハシとシャベルで岩や根っこを掘り返し、もっこを担いで道をつけ、整地していきました。そして1952(S27)年、最初の児童棟が完成し移転しました。
ワークキャンプはその後も継続され、次々と施設が整備されました。最初の児童棟が完成したときに中村遙先生が次の句を詠み涙されました。
吾ら苦難の中に
美はしき幻を見ながら
この山を拓く
以来、これまで幾多の困難を乗り越えながら、本拠地を大阪市港区から島本町に移し、今日では社会的養護を必要とする子どもたちの施設(遙学園・翼・乳児院・児童心理治療施設ひびき)を中心にしながら、保育園や幼稚園、高齢者施設、保育士等の養成施設(大阪保育福祉専門学校)、小児科診療所(さくらクリニック)などを設置運営する全国有数の総合的な社会福祉法人に育ってまいりました。
さらに、法人設立90周年事業として、2022年6月に障害者自立支援拠点レモンテラスをオープンする予定で工事が進んでいます。
この他、子育て支援センター、里親支援機関等の付帯施設なども設置し、地域は島本町内から高槻市、枚方市、豊中市に広がっています。
これも、今は亡き創設者中村遙・八重子夫妻の「隣人愛」の精神を受け継いだ先輩役職員の熱心な働きとともに、多くの皆さま方の永年に渡る力強いご支援によるものと心から感謝致しております。
私ども社会福祉法人大阪水上隣保館は、今後とも「愛ある働き人」としての役割を果たして参る決意です。皆様方のご協力・ご支援をお願い申し上げます。
法人理念
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援助を求める人いるならば、
ためらわずに手をさしのべる
歴史
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大阪水上隣保館は1931年、牧師である中村 遙・八重子夫妻が、
貧しくて学校に通うことができない水上生活者の子どもを預かり、漁師小屋で生活をともにしたのが始まりです。
当時日本は、戦争で貧乏のドン底にあり、福祉制度も整備されていなかったため、
施設の経営は人々の寄付によってぎりぎり運営されている状態でした。
中村遙はそのような中で、子どもが増えるにつれて新しい家を建て、
眼科や助産所を設けるなど、日本で最初に水上生活者を支える福祉・医療事業に取り組みました。
その後、空襲により全焼した隣保館は島本町に移り、戦災孤児のための児童養護施設として再開、現在に至っています。
時代や社会情勢に左右されることなく、「弱い立場にある人とともに生きる」という
中村遙の理念がこの大阪水上隣保館には受け継がれています。
沿革
時代が変容する中で、常に社会の背景にある弱者やニーズに目を向け、
人に寄り添える施設や事業をおこし継承しています。
1931(昭和6)年
水上生活者及び港湾労働者の子どもたちを対象に
大阪市港区に「水上子供の家」を創設する
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1945(昭和20)年
空襲により施設全焼、
三島郡島本町東大寺の民家を借り受け移転
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1946(昭和21)年
「山崎保育園」開設
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1952(昭和27)年
大阪府三島郡
島本町山崎現在地へ移転する
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1969(昭和44)年
「乳児院」開設
「山崎幼稚園」開設
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1971(昭和46)年
「大阪保育福祉専門学校
(旧: キリスト教保育専門学院)」開設
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1973(昭和48)年
高槻市に「藤の里保育園」開設
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1991(平成 3)年
特別養護老人ホーム
「弥栄の郷」開設
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1996(平成 8)年
大阪水上隣保館
「附属診療所」開設
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2005(平成17)年
総合児童棟、
地域交流センター
「ゆりの礼拝堂」竣工
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2006(平成18)年
在宅養育支援センター「みゆき園」開設
児童心理治療施設「ひびき」開設
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2015(平成27)年
「藤の里保育園」
「認定こども園 藤の里保育園」に移行
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2018(平成30)年
児童養護施設「翼」
乳児院 小規模グループケア「たんぽぽ」
開設
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2019(平成31)年
里親支援機関「おひさま」
開設
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2020(令和2年)年
大阪水上隣保館付属診療所「さくらクリニック」
開設
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2022(令和4年)年
障害者自立支援拠点「レモンテラス」
開設
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